Penguin's holiday

できればずっとねていたい

つくったものがダメだったからといって自分がダメなわけじゃないですよ

※ここでの「つくったもの」というのは仕事での成果物、主に「デザイン」についてです。自己表現としての「作品」となるとちょっと話が違うかもしれない。

 

まぁ、あたりまえのことなんですけどね。

何かものをつくることで対価をもらっている人(広い意味で言うとどんな仕事でも何かを産み出して対価をもらってるわけですけど)なら、一度ならずとも常に自分がつくった成果物に対してこっぴどいダメ出しをくらって「自分ってダメダメだぁ・・・」って落ち込んだこと、あるんじゃないでしょうか?

特にデザイナーなりクリエイター(という表現はあまり好きでないけど)は、それまで培ってきたセンスやノウハウ・技術という、ある意味で自分自身を切り貼りして作品(という言い方もなーんか微妙にしっくりこなのですが)をつくっているわけでして、酷評されたときのぐさっとくる具合は半端ないのではないでしょうか?というか半端ないんですよ自分自身。

自分がぐっさりきた経験があるため、人に指摘するのも妙に気を使います。人によっては所謂ダメ出しをするとあからさまに不機嫌になる人やテンションダダ下がっちゃう人もぽちぽちいたりしちゃって。
自分の考えを伝えるならば表現の工夫しようはあるんですが、まー人づてで伝える場合、容赦ない人も極稀に混じってて「そ…その言い方は流石に………おぅふ」ということもあったりとか。

今回は金銭や時間の問題は一旦端に置きますが、つくった結果ダメだった場合は「ダメだった」という結果がちゃんとわかっただけよしとしたらどうでしょう。ダメだったならまたトライすればいいし、手を動かして何かをつくったっていう過程や経験はちゃんと残りますし。そして、本当にダメじゃないと思うなら言葉を尽くして説明すればいい。
ぐっさりくるということはそれだけ真剣につくって自信があったってことですよね?本気でつくったからこそダメだしされると心にずしっとくるんだと思います。そして、相手もあえてきつい言い方をするということは、それだけ真剣に良いものにしたいと思っているはずです。たまーに人格否定する人とかそれただの八つ当たりやんけ!!!という人もいますが、それはその人が「だめなおとな」ってことで。

あとは…つくり上げた作品は自分の子どもと考えたらどうでしょうか?子どもは産まれるまでは自分の一部ですが、出産後は自分ではない別の存在であるはずです。きちんと見守り、育てていく必要はありますがね。

なんだかよくわからない感じになってしまいましたが、ダメだしくらって凹んでも、「わたしってダメダメだぁ・・・」と自分を否定せず、きちんと意見に耳を傾けて建設的に活かしていけるようになりたいですよねって話でした。
流石にそれなりの年月をデザイナとして生きてきたので、この辺の感情には折り合いがついてきた…とかいいつつやっぱり自分自身むくれてしまうしグサッときてしまうのですよねこれが。うーむ。。。

 

あーでもですね、つくったものが大いに褒められたり、大成功を収めたなら大いに喜んで、胸を張っていいと思うのです。だって、子どもが素晴らしいことを成し遂げて喜ばない親はいないじゃないですか?ね??